出産まで④
〈6月30日〉
夕方になり、上の子を保育園に迎えに行くというので両親退散。
そのあとからおなかの張りがひどくなり、10分おきくらいに出血しているような感覚が出る。
痛みに我慢できなくなり、ナースコール。
出血の確認、モニターで胎児確認。
「定期的に張りがくる。これ大丈夫?」と聞くと、「定期的な張りが続くとそれが陣痛になる。どう?」いやいやいや、私、一人目も陣痛来なくて帝王切開なんですわ。
どれが陣痛でどれが破水かなんてさっぱりわかりませんの。
耐えてる途中に早産で生まれてきてもいいように胎児の肺機能をよくするためのステロイド注射を肩にぶすっと。
しかしおなかはとにかく痛むし「もう無理」と宣言したところ「一回見てもらおうか?」とようやく内診。
結果、再出血しとるらしいと・・・
・出血の場所が開けてみないとわからないので止められない。
・正直もう出すしかないと思う。
・できればまだおなかの中にいてほしいけどこの出血量だと危ない。
・帝王切開の準備します
とのことで、あれよあれよと麻酔科が呼ばれ、着替えをさせられ、酸素マスク装着、上の子を迎えに行った両親はとんぼ返り。
保育園と病院は目と鼻の先でしたが・・・
ようやくそのころに旦那到着。
私の状態はというと、
・爪真っ白。(いつもはほんのりピンクの超健康爪)
・寒気あり(かなり出血してたから・・・)
・声出すのもしんどい
内診時に出血点を探してる間もどんどん出血してたようで「ガーゼ持ってきて~全然止まらないな~う~ん・・・」という声が丸聞こえ(笑)
着替えてから手術室へGO。
今回は腰椎麻酔とのことで意識はある状態での帝王切開。
麻酔かかったかどうかの確認てアルコール綿で皮膚を撫でて「冷たいですか?」て(笑)
こんな感覚的な判断なんか!とだいぶびっくりしたけど、何しろかなりの出血で寒気と元気がない状態だったのでそんな軽口も叩けず。無念。
麻酔かけるのになんだかんだ30分くらいかかったような・・・気のせいかもしれませんが。
そしてようやく麻酔が効いたころに主治医による「始めまーす」の号令。
私の場合、押される感覚は感じなかったけど、かちゃかちゃ器具の音ははっきり聞こえてた。
すぐ、「赤ちゃんでまーす」となっ女の子誕生。
泣いてたかどうかの記憶も怪しい。
私の意識も今一つだったし、はよ新生児科に連れてっとくれ、と思ってたような。
途中「これ、かなり珍しい症例だから写真撮っていいですか?」と言われてパシャパシャ撮られてたなぁ。
地方会あたりで発表したかしら。
バニシングツイン?とか言ってました。
受精時双子ちゃんだったけど、途中でダメになったほうがそのまま残遺物として子宮内に残ってたらしい。
31週と、ちょーっと早くこの世に出てきてしまったけど、今では元気いっぱいです。
ここからはNICUへの通勤が始まるわけで・・・
出産まで③
〈6月30日〉
朝を迎え、診察するからとのことで絶飲食。
そういえば介護用オムツしてたなぁ・・・妊婦用パジャマの丈が少し短めだったのでオムツ見えないか気にしながらトイレに行ってた。
しかし一向に診察に呼ばれない。
まだですか?と聞いても「たぶん一番最後」と言われ待つしかない状況。
10時過ぎたくらいかなぁ?ようやく診察。
「今のところ止血できてます。このまま正期産まで待ちましょう。せめて34週。」
いやいやいや、あと1か月あるし、産休入っていないし、そもそも出産準備してないし。
ただひたすら安静を指示されたため横になるのみ。
しかもイヤホンなかったのでテレビも映像だけ。
当時、旦那は単身赴任中、上の子は保育園の年長。
実家に預けるしかないな、と判断し、実感の保育園状況を市役所に勤務している友人に確認。
すると、
・現在の居住地で認可保育園に入っていて、それを継続させる場合、実家のある自治体では認可保育園に入園できない。(つまり、居住地の保育園を退園すれば実家の自治体の認可保育園に入園可能)
・認可外の園であれば入園できる
という回答・・・困ってるのに優しくないのねと思った記憶あり。
そんなこんな、いろいろ調べているとお昼を過ぎ面会可能時間。
両親が来てくれ、イヤホンやウェットティッシュ、洗面用品などなど持ってきてくれる。
まだこのときはなんともなくて、これから始まる長期入院への心配しかしてなかった。
出産まで②
〈 6/29深夜〉
ソファでごろんとしていると「ぷちっ」という感覚があり急いでトイレへ。
けっこうな出血あり。
様子を見てみるも止まる気配がなく産婦人科へ電話。
上の子をたたき起こしタクシーで産婦人科へ。
万が一のことを考え実家へ電話。(急遽来てもらうことに)
万が一のことを考え入院に必要になりそうな物をバッグに詰めて持参。(入院セットどころか、授乳用ブラとか母乳パッドすら用意してない)
産婦人科でも出血の原因もわからず、止まらず…
お産パッドのLサイズ(産後直後の悪露に対応するサイズ)でも吸収できないほどの出血量。
(上の子も一緒に病室にいさせてもらったけど、出血してるのをばっちり見てたみたいで、のちのち「ママ、いっぱい血が出たもんね」と言われることになる)
両親の到着を待って、上の子を預け、私は周産期センターの病院へ搬送。(人生2度目の救急車)
救命センターでもろもろ検査するも原因はよくわからず。
この時点で700ccは出てたかな。
でもね、人間4リットルくらい出血しても死なないそうな。
死にそうな感覚はまったくなく、担当医ときちんと話せる意識レベルのまま。
けっこう冷静だったんじゃないかと自分で思う。
で、出血箇所は特定できたので圧迫止血。
緊急処置とのことで「今は止まってますけど、このまま止まるか再出血なるかはわかりません。」と。
いつ帝王切開になるかわからないってことで手術の同意書、輸血の同意書などなどにサインも。
この時、すでに朝5時。
熱があって暑くてうとうとしかできなかった。
もちろん帰宅できるはずもなく、そのまま入院。
そのときは陣痛室で、翌朝からMFICUで管理されることに。
出産まで①
〈6/20〉
昼間に突然の出血があり、産婦人科へ。
受診時は出血は止まっているものの、かなりの量が出たことを伝えると「診断としては『切迫早産』だね。自宅安静にしといてください。診断書いる?」とのこと。
診断書はなくても有休は取れそうだったので、そのまましばらくお休み。
産休まであと1か月ほどだったのに・・・
それからは自宅安静の日々。
子供の保育園の送迎程度はOKもらっていたものの、ファミサポに頼んだり、実家の母に頼んだり。
家でも家事はほとんどせずひたすらソファでごろごろ。
ごはんの準備も短時間でできるものしか作らない。
ただ、いきなり自宅安静だったのでやり残した仕事の引き継ぎだけは自宅で処理。
自宅安静にしてる時は特に出血する事はなく。
自宅安静にも飽きてきたなぁと思い始めた矢先に再出血となるわけで…
はじめに
34歳会社員。
2016年に6年ぶりに第2子を出産。
早産(在胎31週)だったため生まれた子はNICUへ。
およそ1ヶ月半後に退院。
出産は2度目でも切迫早産からの出産は初めてで、いろんなことをネットで検索しました。
切迫早産の原因とか、上の子をどうするかとか、長期管理入院になった方のブログとか・・・
励みになった部分もあり、「やばい」と不安になった部分もありますが、いろんなパターンを想定することができました。
みんながみんな同じ状況ではないですが、「こんなケースもある」という事例報告として記録に残します。
ご覧になられた方のお役に立てれば幸いです。
と言いつつ、小学生になった上の子の困った話や引っ越した後の話なども。